連載12 わかれば怖くない
あなたが子どものころ、怖かったものは何ですか? 夫は、地獄が怖かったそうです。おばあちゃんに連れられて行ったお寺で、地獄絵を見てお話を聞いたからだそうです。なんだか大変まっとうな感じがします。
私はお風呂場のすみの、軽石が怖かったです。今思えば、両親が自分たちの家を勘考中で、伯父叔母祖父母の住む家に、私ども6人が寄宿していたころでした。10人で使うお風呂場の備品を、私ひとりのために、常には片づけきれません。軽石を見るたびに、ビャービャー怒り泣きする私に閉口した母が、ゆっくりお話ししてくれました。「軽石は、お山が噴火したときに出てきた石だよ。穴あきだから、水に浮かんでおもしろいでしょ。普通の石は沈むのにね。かかとをこすると、つるつるになるんだよ。どうしてこれが怖いと思ったの?」
問われてみれば、わかりません。理由なんかなくても、どーうしても、めちゃくちゃ怖くて、そこは誰が何と言おうと、絶対変更不可能なのでした。私は、軽石が見えないところに片づけられるまで、断固として泣き続けました。
両親の家が建ち、祖父母のお風呂場を使わなくなったころには、私の「軽石怖い」も消えていて、なぜあんなに怖かったのか、自分でも謎でした。高校生の時、このことをふと思い出し、精一杯考え込んで思い当たった答えはこうです。婚活中の叔母に、お風呂に入れてもらった時、彼女の眉剃り用の安全カミソリが、軽石の陰に隠れていた。それを無断でいじった私が怪我をした。「まずいっ」と気づいた叔母がカミソリを片づけながら、軽石に罪をかぶせた説得を展開した…。思いついたとたん、これが正解と確信しました。私たちをずいぶんかわいがってくれた、今も大好きな叔母ちゃんですが、こんなご愛敬程度の失敗だって、あったかもしれません。
私の「軽石怖い」は、からかいの種にはなりましたが、双方楽しく笑えるところにとどまり、叱られることもなくて、助かりました。心についての本など読んでみると、それは大変有難いことだったとわかります。理に合わない恐怖心について、大人が「そんなはずがない。ばかげている」と軽んじたり、あざ笑ったり、おもしろ半分にわざと怖がらせたり、叱りつけたりすることがあります。それによって、一過性ですんだはずの怖さが、治りにくい傷になってしまうかも知れません。また、軽石の後ろにカミソリが隠れていたように、恐怖心の背後に別の問題がひそんでいることも、あるかもしれません。子どもの恐怖は、まじめに、親切に受け止めながら、さらりとやり過ごす手助けができたらいいですね。
理屈ではわかりづらいこんな話を、具体的なふるまいで教えてくれるのは、『こわがりのかえるぼうや』(キティ・クローザー/著 徳間書店)です。
暗いところで、ひとりで寝るのが怖い、かえるぼうやは、パパとママにいくら優しくしてもらっても、やっぱり怖くてたまりません。我慢してひとりでベッドにいると、変な音まで聞こえてきます。ザクザク、ゴソゴソ、キキキッ、パチャ。音の正体についての妄想は広がるばかり。どうにも怖くて、さめざめと泣くばかり。優しいママが、ぼうやを自分たちのベッドに入れてくれました。川の字になってやっと寝ついたぼうやが、寝ながらモゾモゾ動くので、こんどはパパが眠れません。仕方なくパパがぼうやのベッドに逃げると、「ザクザク、ゴソゴソ、キキキッ、パチャ」が、ほんとに聞こえてくるではありませんか。
パパはぼうやを起こして、夜の池のすいれんの葉っぱに誘いました。そして二人で、夜の動物たちの立てる物音を、一つ一つ確かめました。理由がわかって、怖さはすっかり消えました。「ザクザク、ゴソゴソ、キキキッ、パチャ」をこもりうたに、そのままいっしょに朝まで寝ました。
たのしそう! それにこのパパは、科学者ですねえ。精神論で上からねじふせずに、寄り添って、事実で怖さを溶かして見せてくれる大人によって、子どもはほんとに強くなれるんだなーと思います。
ベッドでパパにお話を読んでもらっている、表紙のかえるぼうやは、本なんか見ていませんよ。パパの胸にぺったりもたれかかり、パパの手首に自分の両手を重ね、パパのあごをうっとり見上げて満足そうです。かわいがられ癖のついたかえるぼうやが、ますますかわいく、いとおしく思えてきます。
この絵本は、ジェレミー・フィッシャーに捧げられています。ジェレミー・フィッシャーというのは、「ピーター・ラビット」シリーズで、グレーの紋もあらわなモンシロチョウのオープンサンドイッチにかぶりついている、あの印象深いかえるどんです。ポターからの「本歌取り」を探すのも、楽しい絵本です。