鈴木出版株式会社

子育てエッセイ 連載1

松井るり子 岐阜市生まれ。児童文化専攻。文筆業。暮らしや子ども、子育て、絵本についての著書多数。
たおやかで独創的な目線から書かれた文章は、子育て中のお母さんをほがらかに励ましてくれます。 この連載は、冊子「こどものまど2012年度」(鈴木出版刊)に掲載されたものです。

松井るり子の子育てエッセイ

連載1 おもかるさま

 幼稚園から高校までの13年間通った電車みちの脇に、小さなおじぞうさんのお堂がありました。赤いよだれかけが時々新しくなって、柿やりんご、もなかやおだんごが供えられていることもありました。お参りしたこともない私が、その様子を知っているのは、横目でいつもお供えをチェックしていたからです。

 私が、出産のために里帰りしていたある日のことです。
 母が「おもかるさまがね…」と言うので、「なにそれ?」と聞くと、おじぞうさんの脇にある、つけもの石みたいな石のことだそうです。それなら知っています。おじぞうさんとおそろいの、赤いよだれかけを巻いた石が置いてあるのは、「何の冗談かなー」とずっと思っていたのです。あの石に名前があったとは知りませんでした。
 その名を漢字で書くなら「重軽様」。おじぞうさんに願いごとのお参りをしたあと、おもかるさまを持ってみて、「重い」と感じたら願いは叶わず、「軽い」と感じたら叶うという、うらない石だとか。願いごとをした本人の気の持ち方だけに左右される、なんとも主観的なところが、面白いような怖いような気がしました。おもかるさまを持ち上げてみるのは、一生に一度か、せいぜい二度。つまり「この先、これ以上つよい願いごとをすることはない」と確信した時にだけお尋ねしてみる、おごそかなことなのだそうです。

 伯父に赤紙(第二次世界大戦への出征命令状)が来て、祖母は「今がその時」と決めました。召集に応じないという選択も、無事の帰還を願う本音を口にすることもできない時代です。そんな状況の中で、お参りの中身には、他人を踏み込ませずにすみます。祖母は、「息子を無事に帰してください」とおじぞうさんにお参りしてから、おもかるさまを持ち上げました。その時、「軽い」と感じたので大丈夫と確信しました。が、これもおもかるさまの禁忌で、そのことを人には話さずに、時が過ぎるのを待ちました。
 戦争中に小学生だった私の母の同級生は、学校帰りに通っていた桑畑で、戦闘機からの機銃掃射を受けて亡くなりました。空襲で町が焼かれて多くの人が亡くなり、人々は飢えて、ヘビまで食べるような数年を過ごしました。そのせいで母は今でも、さんまやうなぎのような「長い魚」が食べられません。
 戦争が終わり、幸い生き延びた伯父は、満州から船で引き上げる折、親しい戦友から、乗船順を替わってほしいと頼まれました。「先の船に乗るお前は独り者だが、後に乗る自分には妻子が待っている」という理由を、もっともだと思った伯父は、先を譲りました。戦友の乗った船は、まだ続いていた戦争のどさくさで撃沈されて全員亡くなり、後の船に乗った伯父は、無事に帰り着きました。
 おもかるさまは、こうして祖母の願いを叶えてくれたわけですが、どこかのおとうさんが伯父の身代わりになったような話でもあり、痛ましいことです。この話を、私が大人になって初めて耳にした理由は、そこだったかもしれません。やがて伯父は結婚し、えくぼのかわいい、いとこのお姉さんが生まれました。子どもの頃の私は、優しい彼女に遊んでもらうのが大好きでした。

 おじぞうさんとおもかるさまのお堂の前を、朝晩通って大人になった私は、出産前にその話を知りました。良いチャンスだから、安産祈願をしてみようかなと少し考えましたが、やめておきました。この先、もっと大事な願いごとが出てこないとも限らないからです。現に、出産は三回したので、そのつどお願いしていたら、回数が多すぎましたね。そんなわけで、おもかるさまに触ったことはないまま、お堂の前を通るたびに、二秒ぐらいは手を合わせるようになりました。というのは、親になってから、子を「おまもりください」という願いが半端でなくなったからです。数年前に、おじぞうさんもおもかるさまも、お堂ごと撤去されてしまって寂しいです。

 私の父は、七歳の時にかかった腎臓病がどんどん重くなって、仮死状態になったことがありました。その時、父は夢を見ました。夢の中で、いつも遊びながら目にしていた、田んぼのあぜ道のおじぞうさんが手を差しのべてくださったので、その手につかまって目を覚ましたら、父は息を吹き返したのだそうです。「普段からおじぞうさんにお参りしてたの?」と父に聞いたら、「したことなかった」。
 これは子どもの時から何度か聞いていた話で、そのたびに「おじぞうさんに引っぱってもらわなかったら、私ら姉妹もいなかったんだなあ」と思っていました。

 お参りしたかも、よい人間でいたかも関係なく、なぜか授かるおまもりの積み重ねで、私はここにいます。今、これを読んでくださっているあなたとお子さんがたも、目に見えない大きな力に、まもられておいでなのでしょうね。

バックナンバー

TOPに戻る