鈴木出版株式会社

子育てエッセイ 連載19

松井るり子 岐阜市生まれ。児童文化専攻。文筆業。暮らしや子ども、子育て、絵本についての著書多数。
たおやかで独創的な目線から書かれた文章は、子育て中のお母さんをほがらかに励ましてくれます。 この連載は、冊子「こどものまど2012年度」(鈴木出版刊)に掲載されたものです。

松井るり子の子育てエッセイ

連載19 親の声を聞いていたいころ

 子どもが小さかったころは、毎晩寝る前に絵本を読んでいました。「読むよー」と言うと、幼稚園に通っていた末っ子が、「ぼくが先生にもらったご本にして」と言いました(この幼稚園では、月刊絵本を定期購読していたので、毎月先生から子どもたちに絵本を配布されました)。子どもはお手渡しくださった方から「いただいた」と思うんですね。お父さんがお金出しているんですけど…と言うのは控えました。上の子どもたちは、別の自主保育に通っていたので、園から配本されるこのような月刊絵本の存在を知らず、「へえー、幼稚園では絵本がもらえるんだ。いいねー、どんなの?」と身を乗り出します。末っ子は得意げでした。
 きょうだいが多いと、「うちの本」はあっても「ぼくの本」はありません。末っ子が初めて持った自分の本に、先生のご手跡で名前まで書かれています。これは大事にしてやらなくちゃと、重々しく読んだものでした。  私は4人姉妹の長子として育ちました。ある日両親が、末の妹のために絵本を買ってきました。私は何も考えずに先に読んでしまい、妹に「わあーっ」と泣かれてびっくりしました。汚したり、破ったりしたわけではありません。「お姉ちゃん、これ読んだ?」と聞かれたので「うん」と普通に答えただけなのに、どうして泣くかなあと思いました。でもなんだかかわいそうなので、一応謝っておきました。数年後に、やっとわけがわかりました。服でも靴でも道具でも、姉たちのお下がりばかりの末の子にとって、「自分だけの本」がどんなにだいじなものだったか。新品に鈍感な長子の私は考えなかったのです。それでもう一回「あのときはゴメン」と謝り直したのですが、妹は覚えてもいなくて、説明したら「そんなん、ええわ」と笑っていました。
 物の大事さや、おもしろさやこだわりは、過ぎ去るものだということも、そのころにはわかっていました。一時、あんなに夢中になって集めていた絵はがきや、封筒から切り取った珍しい切手や、きれいな包み紙も、ある時気がつくと、いらないものになっているのです。それを妹に「欲しい?」と尋ねると、喜んでもらってくれるので、ほっとしました。ほっとしながらも、自分の中にあった何かがすでにないことに気づいて、物足りないのでした。
 子どもが、親の絵本読みを喜んでくれる時間にも限りがあります。今この文章を読んでくださっているみなさまは、「一体いつまでどれだけ手がかかるのやら」というご心境かと思いますが、ある日気がつくと、親がさしのべる手は、子どもに体よくかわされるようになっていることでしょう。
 先日読んでいた本に「自分で本を読みたがらない子どもがいる。それは、読めるようになると、大人に読んでもらえなくなるかも知れないと、恐れているから」と書かれていました。かわいすぎです。子どもたちにとって、絵本の内容は二の次で、一番大事なのは、大好きな人の「いい声」を聞くことなんですね。普段の親の声は、あんまり良いことを言わなかったりするものですが、絵本読みの時の読み手は、詩人ですから。いとけない子どもに「ずっとその声を聞いていたい」と思ってもらえる時間の、なんとありがたいことでしょう。お子さんが「もういらない」と言ってくるまで、いつまでも読んでくださいね。
 子どものときに、喜んで見て聞いていた絵本について、高校生ぐらいになってから、意外な辛口意見を聞かせてくれるのも、楽しみなことです。 例えばイギリス民話『3びきのくま』(ポール・ガルドン/絵 ほるぷ出版)について。くまたちの家で、家宅侵入、窃盗、器物破損の上、まんまと逃亡してのける、金髪の女の子のことを、2人の息子は「怖かった」「魔女かと思った。頭に蛇の載ってるやつ、ほら、なんだっけ、あ、メドゥーサ」ですって。確かにこの子の頭から突き出すたくさんの金髪たてロールは、蛇に見えないこともありません。子どもたちは『まんがギリシア神話』(ぎょうせい)をしっかり自主学習していました。娘は、「この子は行儀が悪くて嫌いだった」のですって。ちっとも知りませんでした。3人ともおもしろがっているとばかり思っていました。性差による受け取り方の違いも、興味深いところです。
 主人公が怖かったり嫌いだったりする絵本は、自分で読むなら選ばなかったでしょう。特に子どもからのリクエストがなければ、親の私がその日の気分で気ままに選んだ絵本に、子どもたちは親切につきあってくれていました。そのときは言葉に表さなくても、黙って聞きながら、複雑な気持ちを育てていたのですね。
 人に読んでもらうと、読者としての「自分の気持ち」に専念できますから、大人どうしで絵本を声に出して読み合うのも楽しいです。今夜、おつれあいさまといかがですか? 子どもの気持ちを味わってみる練習にもなると思います。

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