鈴木出版株式会社

子育てエッセイ 連載3

松井るり子 岐阜市生まれ。児童文化専攻。文筆業。暮らしや子ども、子育て、絵本についての著書多数。
たおやかで独創的な目線から書かれた文章は、子育て中のお母さんをほがらかに励ましてくれます。 この連載は、冊子「こどものまど2012年度」(鈴木出版刊)に掲載されたものです。

松井るり子の子育てエッセイ

連載3 みちしるべは本

 四半世紀前、息子の名付けに悩んでいた夫に、職場の先輩がこんな提案をしました。「逸馬でどうだ?」。これだと上から読んでも下から読んでも「まついいつま」となって楽しいわけですが、夫は「人の子どもの名前で遊ぶな!」とプンプンしていて、おかしかったです。
 「逸馬」にならなくてセーフだった息子は、小学生の時、「こいけけいこちゃんのうた」というでたらめの歌をつくってさかんに歌っていました。それを面白い巡り合わせだなあと思って、聞いたものでした。

 「逸馬」にならなくてセーフだった息子は、小学生の時、「こいけけいこちゃんのうた」というでたらめの歌をつくってさかんに歌っていました。それを面白い巡り合わせだなあと思って、聞いたものでした。
 上から読んでも下から読んでも同じ言葉、すなわち「回文」の最高傑作書籍は、『ダンスがすんだ』(フジモトマサル/著 新潮社)ではないかと思っております。この本は家族で読んだ後、友人知人に貸し出して(というか、ぐいぐいと押しつけて)楽しみましたが、惜しいかな、子どもにはちょっと難しい。でも回文遊びを始めるのは、やっぱり子ども時代であらまほしと思うわけです。
 『さかさことばのえほん』(小野恭靖/作 高部晴市/絵 鈴木出版)は、子どもも大人も楽しめる回文の絵本です。私はこの画家の、和風で渋めの色遣いと、ポップな図柄の取り合わせの妙に、いつも見とれます。この絵本のシメが「だんすがすんだ」であるところも、気に入っています。

 言葉だけでなくお話そのものが、「ま」「つ」「い」と進んで「い」「つ」「ま」と戻ってくるような構造になっている絵本を見つけました。『しらない いぬが ついてきた』(小林与志/作・絵 鈴木出版)です。
 赤白しましまシャツのぼうやが、煉瓦色の街を一人で歩いていると、知らない犬がついてきました。結構大きな犬です。ぼうやは、ちょっとこわいので、やだなと思います。「ついてこないでよう」と願っても、犬はついてきます。逃げても隠れてもついてきます。パン屋さんの前を通って、本屋さんの前を通って、珈琲屋さん、果物屋さん…と過ぎて、トンネルを抜けて、ふと気がつくと、知らない場所に来ていました。工場裏手の空き地のようです。割れた窓ガラス、折れた桟、転がる空き缶が、うらぶれた感じです。
 帰り道がわからなくて困っていると、それまでぼうやについてきていた犬が、ひとりで歩き出しました。そんなときは多分、私もそうすると思いますが、ぼうやは勝算のないまま犬についていくと、トンネルを通って、あそこを通ってここ通って、「あっ、わかった!」。いつのまにか、果物、珈琲、本、パン屋さんとつながる、いつものあの道に出ていました。ぼうやのほっぺを、犬がなめています。
 よかったねえ。これからは「知らない犬」じゃなくなるね。これほど完成度が高くて、心にしっくり収まる絵本を、久しぶりに読みました。気持ちいいです。舞台の上に幾重にも張られた幕を、一枚一枚開けながら進んで、一枚一枚閉めながら戻ってくるような、お芝居を思い浮かべました。あるいは入れ子(いれこ)の箱を。ふたを開けると同じつくりのひとまわり小さい箱が入っていて、そのふたを開けるとまた箱が入っていて、その中にも…といくつか続きます。出てきた箱を並べて眺めて触って楽しんだ後は、小さい方からひとつずつしまってふたをして、しまってふたをして…、最後は大きなひとつの箱にかたづきます。そのとき、幾重にも守られた一番小さな箱の中に、「いいもの」が入ったような、充実した気分を味わいます。

 なぜこういう構造にひかれるのか考えてみると、私が歳を取ってきたからだと思います。親や先生や世界全体から、授かったり学んだりしながら、いろんなことや物を手に入れてきた「春」の時期を過ぎて、子どもを産んだり育てたり、働いたりする「夏」の時期を過ぎました。私の子どもは大人になり、今は、自分が得たものを与えたり手放したりする「秋」の時期を生きています。
 「夏」までは、ひたすら夢中で過ごしてきましたが、「秋」はいやおうなく、今まで持っていたものを手放すことが多くなりました。そうして手放ししてみると、もの想う余裕もできて、案外いいなあと、負け惜しみでなく思います。また、私の「夏」までの時間に体験してきたことを、ゆるく逆にたどり直すようなこともあるなあと思い始めています。
 例えば、昔夢中になった本に、もう一度別の形で出会い直すことがあって、楽しいです。また、私は18歳で親元を離れて、そのまま今に至っています。それを思うと、我々の元を同じように去った子どもたちと、この先、同じ屋根の下で暮らすことはないのだろうなあと思ったりします。

 私にとって、親切な道案内の犬は、いつも本でした。何百ページもの大著でなくても、優れた絵本がシンプルな形で、世界や時間の謎を解いてみせてくれることがあります。ぜひ、絵本を大人の読み方で楽しんでください。絵本の読み解きには、正答も誤答もありませんから。

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