鈴木出版株式会社

子育てエッセイ 連載8

松井るり子 岐阜市生まれ。児童文化専攻。文筆業。暮らしや子ども、子育て、絵本についての著書多数。
たおやかで独創的な目線から書かれた文章は、子育て中のお母さんをほがらかに励ましてくれます。 この連載は、冊子「こどものまど2012年度」(鈴木出版刊)に掲載されたものです。

松井るり子の子育てエッセイ

連載8 仕事と人生

 産休明けで、すぐに仕事に復帰した友人を、その職場に訪ねた時のことです。「あかちゃん、お元気?」と尋ねると、ぽろぽろと涙をこぼしながら「聞かないで。悲しくなる。おっぱいも張ってくる。会いたい」。私もついもらい泣きしました。だいじな子を置いて働く悲しみの、なんと大きいことでしょう。それでも働く彼女をまぶしく、貴く感じました。
 選択の余地なく働いて、自分と子どもの口を養うひとり親はたくさんいます。お金に困っていなくても、仕事をすることが生きることだから仕事はやめない、という方もおいででしょう。

 敬愛する産婦人科医の大野明子先生(著書に『分娩台よ、さようなら』メディカ出版、他)のご本には、ニーチェの言葉「仕事は人生の背骨です」が時々出てきます。
 102歳になられた日野原重明先生は、「命は時間です。子ども時代は時間を自分のためだけに使います。大人になったら、時間=自分の命を、人のために使うようになります」とおっしゃいました(『いのちのおはなし』講談社)
 このお二人の先生方に教えていただく仕事の尊さは、ずしんときます。

 26歳の時、私の母は4人の娘を親に預けて、昼は保母として働き、夜は幼稚園教員免許取得のための専門学校に通いました。母は、長子の私と「おてがみノート」をやりとりしていました。小1だった私は「おてがみをもらうのはすきですが、じぶんでかくのはあんまりすきではありました」とぞんざいに書きなぐり、「ありません、ですね。いやならかかなくてよいのです」と母からの返事をもらって、ちょっと反省したのを覚えています。
 ある時母は、夜9時に専門学校の講義が終わり、やっと帰途につけると思ったら、4階の教室に傘を忘れてきたのに気づいたそうです。冬で大雨で、仕方なく傘を取りに戻った後は、もう歩くのもいやで、「『るりちゃん、まりちゃん、えりちゃん、ありちゃん』と娘の名を呼びながら、『右、左、右、左』と一歩ずつ足を前に出した」と言っていたのも覚えています。おかげで私たちは、仕事や勉強って、そこまでだいじなものなのかと、不便と寂しさを通して知りました。

 『世界のだっことおんぶの絵本~だっこされて育つ赤ちゃんの一日~』(エメリー・バーナード/作 ドゥルガ・バーナード/絵 メディカ出版)に、その工夫が描かれています。
 グアテマラのおかあさんは、柔らかい布であかちゃんを身体にまきつけて、両手でトルティーヤを焼いています。シャツの胸ははだけてあるので、あかちゃんはおかあさんにぴったりくっついておっぱいを飲み、眠ります。バリ島のあかちゃんは、市場に向かうお姉さんのスリングにだっこされています。中央アフリカのあかちゃんは、蜂蜜摂りをするおじいさんの腰に乗っています。イヌイットのあかちゃんは、おかあさんの上着の大きなフードの中から、魚釣りをするおかあさんの動きに合わせて笑っています。タイのあかちゃんは、ザルでお米をより分けるおばあさんの背中で、おばあさんのお話を聞いています。あかちゃんと一緒にお話に耳を傾けるおかあさんは、その物語を刺繍によって、布に美しく縫い込んでいきます。 世界中のあかちゃんが、だっこされて、おんぶされて昼間を過ごしながら、自分の住む世界のことがわかるようになるのです。そして夜になると、家族の手で優しく寝かしつけられ、夢に抱かれて眠ります。働くための両手を空けた形で、大人の身体にくっつけられたあかちゃんは、大人たちとの暮らしと仕事を、見て、聞いて、匂いをかいで、味わって、触って、自分が近い将来足を踏み出すこの世界のことを、お勉強しながら過ごしています。

 今日の私たちは、パソコンに向かって仕事をすることが多くなりました。そんな私たちでも、絵本に倣って、子どもを身体にくっつけておくことはできます。でも私たちがパソコンに向き合っている間、あかちゃんの五感は置き去りにされ、働く大人と気持ちを共有することはできません。パソコンの林立するオフィスも、ふとのぞき込んだパソコンのむこうの世界も、あかちゃんの学びたい、賢く善き人になりたいという願いを、何一つかなえません。

 社会が変わり働き方が変わり、育児負担の分担方法や親の都合がどう変わっても、あかちゃん自身が必要としていることは大昔から何も変わらず、これからも変わらないでしょう。そこは100%受け入れた上で、いろんな工夫をしていけたらいいですね

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