鈴木出版株式会社

子育てエッセイ 連載23

松井るり子 岐阜市生まれ。児童文化専攻。文筆業。暮らしや子ども、子育て、絵本についての著書多数。
たおやかで独創的な目線から書かれた文章は、子育て中のお母さんをほがらかに励ましてくれます。 この連載は、冊子「こどものまど2012年度」(鈴木出版刊)に掲載されたものです。 松井るり子の子育てエッセイ

連載23 「自分の決定を引き受ける」

 息子が高校生のころ、突然「あれっ!?」と大声を出しました。「子どもが生まれても、僕は仕事に行かないとだめなのか。あーっ、そういうことだあ」。ものすごく残念そうでした。将来親になっても、お産と授乳から解放されている男は、多くの場合、すぐ稼ぎに出なければなりません。養う口も増えるのです。息子が実際に父親になるのはずっと先ですが、自分が男であるがゆえに、いつかあかんぼが生まれても、子どもと24時間一緒に過ごせるわけでは「ない」ことに、気づいたようでした。彼にとっての最重要事項が、「子どもと過ごす」であることがわかっていとおしく、「いい子だなあー」とうれしかったのを覚えています。

 子育ては人生最大のドーラクだと思っていますが、お道楽は、経済的基盤と、絶え間ない家事労働によって支えられます。生活を成り立たせるために、何かをあきらめたり、妥協したり、無理したりしてがんばるのが、父親と母親です。うまく機能しているように見える家庭こそ、家族成員の捧げる犠牲の上に成り立っているのではないでしょうか。そのあたりがうまく納得できていると思っていても、家庭の暮らしのために捨ててきたもの、あきらめたこと、忘れようと努力したことへの郷愁に、溺れそうになることはあるかも知れません。

 絵本『パパがサーカスと行っちゃった』(エットガール・キャロット/文 ルートゥー・モエダン/絵 久山太市/訳 評論社)を開くと、お父さん、お母さんたちのけなげな選択に、切なくなります。でもとびきりおしゃれな絵柄を好きになって、買いました。何度も読むうち、さらに好きになってきます。
 主人公のパパは、専業主夫です。二人の子と犬を連れて、買い出しに行きます。食事のしたくをし、子どもたちを起こし、アイロンをかけます。仕事から帰ったママは、自宅のソファでもパソコンを開いて仕事、遊びに行った先でもビジネス電話、移動中は一家の運転手もします。車にも電子機器にも強い、一家の大黒柱のようです。
 ある日のこと、サーカス大大大好きのパパは、「世界一大サーカス」のポスターを見たときから、大興奮状態になりました。一家を引き連れて行った、がらがらのサーカス小屋では、一人で盛り上がっていました。ショーが終わるとママとパパは口げんかを始めたので、お姉ちゃんと僕は車の中で待っています。しばらくして戻ってきたママが言いました。「パパが、サーカスと行っちゃった!」
 家を出て、サーカスに入ってしまったパパは、世界中の巡業先から家族に手紙を出しています。手紙には、家族に会えなくて寂しいと書いてありました。やがてまた町にサーカスが来て、こんどは大勢の人がつめかけます。
パパは全てのだしものを一人でこなして、最後に一番かっこいいことをしました。家に帰ってきたのです。家族を抱きしめて、もう決して家を離れないと約束しました。全てがもとに戻ります。
 個人の見果てぬ夢と、よき家庭人であろうとする意志のすり合わせに関する、願望混じりのナンセンスおとぎ話ですが、一部リアルなところにぐっと来ます。いくら社会が進んでも、変えられないことがあります。あかんぼのそばに誰か一人は大人がついていないと死んでしまうことと、そばにいる大人の働きかけによって、子どもが賢くなっていくことです。
 一度は家を出ても、ちゃんと戻ってきてくれた絵本のパパは、すてきな人だと思います。子どもを持ったら、持たなかった自分には戻れません。自分が選ばなかった道について、誰かのせいにしたり、恨んだりしながら、今の暮らしを続けていたらどうでしょう。自分では気持ちを奥底に隠したつもりでも、伴侶や子どもたちに、その本音は嫌な形で、しっかり伝わっていくに違いありません。
 このパパも、子どもさえいなければ、妻がこんなに高級取りでさえなければ、自分にほんとうの自由があれば…等々、考えるところは多かったでしょう。一時的に出奔してでも、自分で納得して選んだ生活のなかに自分自身を置くと決めて帰ってきてくれたパパは、すてきな人だと思います。

 私たちも、自分の決意は自分で100%引き受けて、切なさも引き受けつつ、シャンと立って、元気に暮らしたいですね。

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