連載25 「ちょっと離れてみる」
私が子どもの頃に一番つらかったことは、親たちの夫婦げんかでした。暑さ寒さも、貧しさも空腹も、両親さえ仲良くにこにこしていれば、子どもは難なく受け容れるものです。今思えばうちの両親のそれは、平和で些細な、「ばかでい」と笑えるつまらない口げんかでした。でも小さいときは、思いっきり悲しかったです。
もちろんどこに誰といても、誰といなくても、悲しくてつらいことは、起こります。独身者には「独身税」が、既婚者には「結婚継続税」が、離婚者には「離婚税」がかかってきて、いろんな形の苦労に、それぞれの人が甘んじなければならないと、私は思っています。「なんて高額の税金。納めきれるのか」と嘆くようなことが続くと、何だか今の形が間違っているような気がして、結婚さえしていれば(いなければ)、離婚さえしていれば(いなければ)遭わずにすんだ苦労ではないのかと、考えてしまいます。でも立場を変えたところで、費目が変わるだけのことです。税金のがれができる人は、一人もいないことでしょう。
夫婦げんかは、「結婚継続税」の筆頭として、乗り越えねばならないことがらです。けんかもできない間柄よりは、できるほうがいいと思いますが、子どもにとっては、迷惑なことこの上ありません。
絵本『いえでをしたくなったので』(リーゼル・モーク・スコーペン/作 ドリス・バーン/絵 拙訳 ほるぷ出版)に出てくる夫婦も、けんか中です。最初の場面では、散らかり放題の家の様子が描かれています。壁に落書きがしてあるわ、植木鉢や電話はひっくりかえるわ…、元気いっぱいの4人の子どもたちがしたい放題をしたようです。その荒れ果てた家の中で、お父さんは腕組みしてそっぽ、お母さんは腕を腰に当てた仁王立ちで、怒っています。子どもを叱っている間に、いつのまにかお子サンたちそっちのけの、大きな夫婦げんかに発展してしまった模様です。4人の子どもたちは、1階でけんかする親たちに「あんたたちは上に行ってなさい」と追いやられたのでしょう。2階でしょげかえって息をひそめています。犬猫までが、一緒になってうなだれています。
夫婦げんかがもたらした家の中の不穏な空気に、子どもたちは、家にいるのがいたたまれなくなったのでしょうか。次の場面では、いつまでもしょげいないで、さっさと自分たちで荷造りし、家出することにしました。この家は、自然の豊かなところに建っているようで、子どもたちのいつもの遊び場所が、ひっこし先として選ばれます。ツリーハウスを頂く大木。池、洞窟、浜辺。子どもたちは素晴らしい野外生活を送ります。ところが、どこも最初のうちはよかったものの、風に飛ばされたり、ずぶぬれになったり、危険な目にあいそうになったり…なかなか思い通りにいきません。こりゃだめだということの繰り返しで、4人の子どもたちは、やっぱりうちに帰ることにしました。
すると両親は、家の前で笑顔で両手をさしのべて迎えてくれます。子どもたちも、いかにもうれしそうに駆け寄ります。親たちが、この笑顔でけんかを続けるのは無理そうですから、多分もう大丈夫でしょう。互いに近づきすぎて煮詰まっていた親子や夫婦が、ちょっと離れてみたら、トラブルとするに足らぬと気づいたといったところでしょう。これも、身に覚えがあります。つまらないことで険しい場面に突入しても、あっけないことで「なーんだ」となってしまえる経験からの油断も、考えてみればありがたいことです。
大学進学によって親元を離れるのは、『合法的家出』と言えましょう、と習ったのは、学生時代でした。私は大学入学で地元を離れ、卒業と同時に就職し、結婚して今に至るため、振り返れば本当に18歳で「家出」をしたことになります。もし私と同じ経過だとすると、あなたのお子さんが今3歳なら一緒に居られる時間の6分の1が、6歳なら3分の1が過ぎたことになります。こう数えてみると、残り時間は思ったより少ないのではないでしょうか。
来るべき本番の家出前の家族の思い出が、あまりつらい夫婦げんかの色に染まりませんように。「ばかでい」と笑って乗り切れる程度ですようにと願います。