鈴木出版株式会社

子育てエッセイ 連載20

松井るり子 岐阜市生まれ。児童文化専攻。文筆業。暮らしや子ども、子育て、絵本についての著書多数。
たおやかで独創的な目線から書かれた文章は、子育て中のお母さんをほがらかに励ましてくれます。 この連載は、冊子「こどものまど2012年度」(鈴木出版刊)に掲載されたものです。

松井るり子の子育てエッセイ

連載20 身体にくっつけて育てる

 あるお寺が所蔵している地獄絵巻を絵本にした、『地獄』(風濤社)が急に売れたことがあります。育児マンガ家が「これをうちの子に見せたら大変怖がって、私の言うことをよく聞くようになった」とテレビで薦めたからだそうです。便利なしつけ絵本として、大勢の人が買い、絵本屋さんや図書館にも、しばしば問い合わせがあったと聞きました。
 「地獄の苦しみ」を見せなければ、子どもは言うことを聞きませんか? それほどおかあさんと子どもの気持ちは離れていますか? そうではないと思います。子どもから見たら、世界じゅうでおかあさんほどすてきで、大好きで、慕わしい人はいません。だいじなおかあさんを喜ばせたいと、心の底では願っているのに、何かがすれ違っているのでしょう。そこさえうまくつなげば、きっとうまくいくに違いありません。
 私たちは子どもの頃からずっと、言葉によってお互いの気持ちを確認し合いながら、さらに想像力を働かせて、人と仲良くすることを学んできました。幸いなことに、あかんぼとは言葉が通じません。これを「不便」と言いたくなるとしたら、それは多分、あかんぼを大人扱い、他人扱いするからだと思います。母子は、頭と言葉の通路を通らなくても、皮膚の経路で直接通じ合えます。その具体的な方法は、一日中、あかんぼをセミのように自分の身体にくっつけておくことです。
 夜はあかんぼと、一つ布団で一緒に寝ます。料理洗濯掃除の時、にこにこならば寝かせておいて、泣いたらおんぶで家事をします。散歩の時は、おんぶか抱っこにします。買い物の時も、ご機嫌ならベビーカーで、ちょっとでも泣いたら抱っこに切り替えます。皮膚にくっつけて育てることで、おかあさんは自分の身体の延長のように、あかんぼの用を足すことができるようになります。自分の頭がかゆかったら、考えなくてもそこに手が行くようにです。あかんぼは、ひどく泣いて訴えなくても、ちょっとしたサインですぐ欲求が満たされる習慣を得て、自信とゆとりのある子どもに育ちます。こちらの気持ちまでよくわかってくれて、優しいことばかりをしたがる子になります。この関係に「脅し」の入り込むすきはありません。

 幼稚園の先生から、こんな言葉を聞いたことがあります。「かわいがればかわいがるほど、子どもはいい子になりますよ」。
 職場で大好きだった憧れの先輩がおかあさんになったとき、辛抱たまらんという声で「もう、かわいくてかわいくて」と言っていました。数十年経ち、その息子さんがご結婚なさったときは「もう、優しくて優しくて」でした。ああ、わかります。かわいがったことは、このように巡るのです。子どもが自分たちに優しくしてくれることはうれしいのですけれど、それ以上に、隣人、友人、恋人、伴侶に対して優しいのを目の当たりにする喜びは、実によいものです。
 たとえ、あかんぼ時代にかわいがることを逃してしまっても、思春期以前ならばかなり取り戻せます。幼児期なら、いくらでもやり直しがききます。
 日々の暮らしには、心配ごとがあったり、手のかかる下の子がいたりと、余裕を持てないこともたくさんあります。でもそれを全て手放して、その子のためだけのおかあさんになる「瞬間」を持つだけで、子どもが劇的に変わったという話を、聞きました。
 下の子が生まれて大荒れの坊やが、家から一歩も出たがらなくなったそうです。おかあさんは困って、幼稚園の先生に相談しました。先生のアドバイスは「赤ちゃんを泣かせてでも、お兄ちゃんのため『だけ』のおかあさんになる瞬間を作って下さい」でした。なるほど、すぐそうしよう!と、決心だけして帰宅したら、まだ何もしていないのにうまくいくようになったそうです。人間って多分、そういうものなんだろうなあと、深くうなずきながらお聞きしました。
 子どもがなかなか支度をしない、着替えをしないというような時は、お子さんには、「○○しなさい」でなく「お手伝いしましょうか」と声をかけてみてはいかがでしょう。いっぱい抱っこして、ぎゅっと抱きしめて、「だいすき」「だいじ」とささやいて、いいこいいこして、なめるようにかわいがってください。二足歩行する我々は手でかわいがりますが、四足歩行の動物たちは、なめてしか、かわいがれません。実際になめないまでも、手と言葉と心で、愛情まみれにして育ててください。親と子の間に「脅し」の入り込むすきまが消えてしまうように、やさしく、やさしく。

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