連載5 こういうのも かっこいい
学生時代、母の幼稚園の運動会を手伝ったことがあります。その折に聞いた、『はじめのことば』がかわいかったので覚えています。
「みんなで なかよく あそびましょう」
確かに、おうちの人たちに集まってもらって、みんなで外あそびする半日を、「運動会」と称しただけのように見えました。そういうのは初めてでしたが、なかなかいいと思いました。
第2子を里帰り出産したときのこと。長子が練習もなしに全種目、勝手に自主参加して、
「だれ? あの子。さっきから出ずっぱり」
「しーっ! 園長先生のお孫さん」
「あ(と手で口を押さえる)」
と、話題になっていたそうです。それぐらい、あそびの要素が強くて、おちびさんがぶっつけ本番でも参加できる、ゆるーい運動会でした。
あれから25年、昨年は大学院生となったうちの末っ子が、この運動会を手伝いました。卒園した小学生のみならず中学生までが、幼稚園の運動会を見に来ているのに驚いていました。彼らが出場するリレーは、まず学年で区切ってチーム分けした後、身体の大きさによって、より楽しめるようにパパッとその場で選手交代。息子は、過去の自分の学校生活では見たことのない「融通は、きかすのが当たり前」の場面を気に入っていました。
運動会の後、「何が一番楽しかった?」とおかあさんに聞かれて、「郡上踊りの『はるこま』だった」と答えた女の子は、練習の時には一度も踊らなかったそうです。そのかわり、みんなが踊る様子を穴の開くほど見つめていたとのこと。先生方は、その子のことをそっとしておきました。運動会当日、親子で一緒に『はるこま』を踊ってたいそう楽しまれたおかあさんは、自分の娘が練習の時は見学組で、それまで全く踊っていなかったことをご存知ありませんでした。先生たちは、練習を最初から最後まで見ていただけの子が、当日、当たり前の顔をして踊る姿に驚いていました。この子はきっと、自分が踊りの輪に加わるタイミングを自分一人で決めたかったのでしょうね。もし外からあれこれ指図されたら、焦ったり困ったり、不要な劣等感を抱いたりしたかもしれません。堂々と見学を続けて、堂々と当日の初参加をキメて「これが一番楽しかった」だなんて、なんだかかっこいいお嬢ちゃんではありませんか。将来、大ものになる予感がします。
絵本の中にも、大ものの予感に満ちたぼうやが出てきます。『たまごにいちゃん』(あきやま ただし/作・絵 鈴木出版)です。ほんとうはもう、たまごから出ていないといけない時期なのに、出たくないから出てこない、たまごにいちゃんのおはなしです。
にいちゃんは、たまごの殻が割れないように、注意深く石をよけて歩きます。優しいめんどりかあさんに「早く大きくなるといいわね」と言われても、「ぼくはこれでいいんですよ」と殻をつけたままで暮らしています。弟の方が、自分より大きくなったって平気です。たまごのままでいる方が、おかあさんに温めてもらえるし、農場のふさふさのお友だちの中にもぐり込めるし、長いこと水に浮かんでいることもできます。
まだ たまごかよ。おれが割ってやる」という意地悪で偉そうなカラスからは、必死で逃げます。
ところがついに、たまごが「ころころころころ…くしゃ」という日が来てしまいました。にいちゃんの殻はバラバラです。本人は渋面ですが、おかあさんに「とってもすてき」とほめられ、弟に「すごくかっこいい」とほめられて、水に映った自分の姿をみると、それも悪くないのでした。
弟くんが、まだ羽の黄色い、まあるいひよこであるのに対し、昨日まで殻をつけていた今日のにいちゃんときたら、すでに羽の白い、すっきりした体型の若鶏になっているではありませんか。外からは、「その殻は、そろそろはずれなきゃいかんのではないか?」ということしか見えていなくても、見えないところで、ちゃんとやることはやっていたのですね。成長は「見せもの」じゃないのだなと思います。
殻に守られていたからこそ、なしとげられた成長でもあったと思います。さなぎの外皮も、つぼみのガクも、「平均時間」にそろえて外から無理矢理むしったら、だいじな中身が死んでしまうでしょう。生きものは、繊細です。
このにいちゃんは、ほんとに大ものでしたよ。13年足らずで26刷を重ね、シリーズ本がこのほかに13冊もあります。日本の子どもと大人にこんなに支持されている、たまごにいちゃんのようなオリジナル速度の成長を「よし」とするならば、日本の幼稚園や小学校の運動会も、もっと子どもの個々の成長優先になってもよさそうなものなのになーと、思わずにはいられません。