鈴木出版株式会社

子育てエッセイ 連載24

松井るり子 岐阜市生まれ。児童文化専攻。文筆業。暮らしや子ども、子育て、絵本についての著書多数。
たおやかで独創的な目線から書かれた文章は、子育て中のお母さんをほがらかに励ましてくれます。 この連載は、冊子「こどものまど2012年度」(鈴木出版刊)に掲載されたものです。 松井るり子の子育てエッセイ

連載24 「消え去るものをつくる」

 ごはんづくりは楽しいです。でもその「作品」は、食べたらなくなってしまいます。新婚時代は3 時間かけてつくった料理が、30 分で夫のおなかに消えることに、がっかりしました。文句を言おうかなとちょっと考えて、やめておきました。自分で調整すればいいからです。普段は1時間以内でできるごはんばかりにして、浮いた時間は好きなことにあてました。
 私は結婚当時職業を持っていなかったので、身分は奥さん、主な仕事は家事でした。作ってもすぐ消えるごはん、食器を洗ってもまた使い、掃除をしてもすぐ汚れ、洗濯もきりがなくて、この不毛を「賽の河原の石積み」って言うよねと考えたものでした。私がそんなことをしている間に、夫は着実に仕事上の経歴を積み上げ、社会的にも重要な人物になってゆきます。「いいなあ~」と眺めていました。
 でも母親になり、2人、3人と子どもが増えてくると、楽しくてかわいくてうれしいことに埋もれる日々だったので、もう迷わず「私の本業はおかあさん業」と決めました。社会的な形に残ることだけを仕事、と限定するのをやめました。

 絵本『105にんのすてきなしごと』(カーラ・カスキン/文 マーク・サイモント/絵 なかがわちひろ/訳 あすなろ書房)は、一回限りで消え去る交響曲を生み出す、オーケストラの団員105人のお話です。   金曜日の夕方に仕事に出る(コンサートで演奏する)用意をする人たちの、お風呂シーンから始まります。団員それぞれの流儀が、きまじめに細かく語られてユーモラスです。例えば、ズボンをはくときに立ったままの人が45人、座ってはくのが47人…などの数字まで細かく描いてあります。
 身支度が整うと、105人の団員はそれぞれの家族(父、母、夫、妻、子どもたち、犬、猫、小鳥)に「いってきます」を言い、105個のドアを開け、105本の道を歩き出しました。コンサートホールに集まり、8時25分に104人が舞台に上がります。最後に105人目の指揮者が現れ、ホールのシャンデリアが輝きます。
 指揮棒が振り下ろされると、なめらかで力強い音が流れ出しました。全ての楽器が生き生きと歌い出します。105の心が一つになって、音楽が美しく奏でられました。
 思いきり具体的に描かれてきた一人一人が、最後のページでは、一つのまとまりとして、舞台の底に沈みます。そこから炎のような淡い美しいものが立ちのぼります。ああ、音楽って、こうです! 絵にするのが難しい音楽やコンサートの素晴らしさを、巧みに表現しているこの絵本を見ていると、またコンサートに行きたくなりました。
 ところで、音楽は目に見えません。生の演奏は、消え去ってしまいます。音楽は、どこに行くのでしょう。天に昇って、どんどん昇って、星のところまで行ったら、そこで雲か虹のような美しい何かに変容して、また私たちのところに降り注いでくるような…そんなイメージを持っています。
 他にも目に見えないものや、ひとところにとどめることができないもの、一瞬で消え去っていくものがあります。例えば、踊りも、祈りも、願いも、祝福も、憧れも、子育ての労力も、読書も、目に見えません。でも、世界のどこかには、ちゃんと存在している気がします。

 昔あんなにべったりいっしょに過ごした子どもたちも大人になり、今ではめったに会えなくなりました。たまに会うと、優しい人に育ってくれたなあと、うれしくなります。私に対してというのでなく(私にも優しいですが)、隣人や、ものごとや、世界に対して優しいです。かつて賽の河原の石積みのように思えた私の仕事が、大人になった今の子どもたちの中に、よい形でちゃんと凝縮、格納され、彼ら自身の道具としてうまい具合に使われているなあと、まぶしく眺めます。

 少女時代から暗記するほど繰り返し読んだ、モンゴメリの『赤毛のアン』シリーズに、「人生の豊かさは、そこから取りだすものによってでなく、つぎこむものによって決まる」という言葉がありました。これを思い出したのは、母親になってからで、それがほんとだなと思うようになったのは最近です。生きた相手につぎ込んだ時間は、自分では成し遂げられない、思いがけない素敵な姿に変容して、とどまるようです。子どもたちの今の優しさのもとが、何の変哲もない、ふつうのおかあさん業の蓄積のなかにありそうにも思えます。

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