鈴木出版株式会社

子育てエッセイ 連載7

松井るり子 岐阜市生まれ。児童文化専攻。文筆業。暮らしや子ども、子育て、絵本についての著書多数。
たおやかで独創的な目線から書かれた文章は、子育て中のお母さんをほがらかに励ましてくれます。 この連載は、冊子「こどものまど2012年度」(鈴木出版刊)に掲載されたものです。

松井るり子の子育てエッセイ

連載7 小さい人への経緯

 子どものころ、先生って大変だなあと思っていました。箸にも棒にもかからないアホちんなちびすけども(自分たち)を、ちっとはましなところに引っぱり上げなくちゃいけないからです。自分が親になってみると、それよりもっと大変なのが、自分よりも優れた人物を育てねばならないことと知りました。
 難しいです。いくらがんばっても「私がわかる範囲」でしかがんばれません。自分の知る「よい人間」のアウトラインから子どもがはみ出さぬよう、監督を行き届かせれば、鋳型より小さいもの、つまり「二流の私」しかできあがらない寸法になっています。命がけで子育てした結果が、「私×0.9」の小ものでは、泣くに泣けません。でもありがたいことに、子育ては親の思い通りになんて、全然行きません。だからこそ優れてやさしい大人になってくれました。夫は子どもたちが高校生ぐらいの時から「もう私を超えた」と言っていました。今でもすねかじりだったり社会的には半人前だったりしますが、それでも中身は人間として賞賛に値することを父親が認めて、本人たちにもそう伝えてくれるのが嬉しかったです。

 教師と生徒とか、親と子とか、扶養者と被扶養者とかいう関係にあるとき、そしてこちらの身体が大きくてあちらは小さいとき、私たちは簡単に目をくらまされます。相手の本当の偉大さに畏れを抱かぬまま、共に居る時間を空費します。「わが子には、私を超えた人物になってほしい」と本気で願う親ならば、次の世代に輝く偉大な人に対して、偉そうな態度をとる失礼に赤面するでしょう。『ねずみとくじら』(ウィリアム・スタイグ/作・絵 評論社)を読んで、そんなことを考えました。

海にあこがれる、ねずみのエーモスは、自作の船で単独船出します。すばらしい航海でした。

「かぎりないほしぞらをながめて、
 いきて ここにいる
 けしつぶほどの ねずみのみも、
 いきて ひろがる
 だいうちゅうのなかまとして、
 しみじみ うちゅう ぜんたいを  したしく かんじました。」

 大人の読者は、瀬田貞二さんの訳文の意に引き込まれ、子どもはこの文の持つ音楽に引き込まれるでしょう。ところがこの直後、エーモスは海に引き込まれ、船は去りました。大海原にひとりぼっちで夜を明かし、疲れて冷えたところに雨まで降り出します。いっそ溺れたいほどで、溺れるには手間がかかるだろうか、怖いだろうかと考えます。
 そこにくじらが現われました。哺乳類どうしと名乗りあい、エーモスの住む岸辺まで返してくれます。岸までの一週間、小さな生き物の持つ美点と大きな生き物の持つ美点に、互いに心を打たれて尊敬しあう友となり、秘密もうちあけ合いました。
 別れ際、ぼくもいつか喜んできみの役に立ちたちというエーモスを、くじらはこっそり笑います。普通に考えて無理ですものね。でも「なりはちいさいが親切のかたまりだ。ぼくは彼が好きだ」と、別れをつらがりました。
 長い年月が経って、くじらが助けを必要とするときが来ました。エーモスが偶然そこに来て、ほんとに助けることができました。それから、二人は永遠に別れました。
 イソップに、似た話がありますね。ライオンが「お前を食ってやる」と言ったとき、ねずみが「私など食べても空腹を満たせない。あなたが困ったときには私が助けるから、見逃してくれ」と命乞いしました。ライオンは確かにねずみでは腹の足しにはならぬからと見逃します。後日、ライオンが捕らわれた網を、ねずみがかじって助けました。
 この話から私は、利口な提案がとっさの取引を成立させること、弱者に恩を売っておけば後日助力を回収できるということを受け取りました。
 構成は似ていても、この絵本のねずみとくじらの敬愛は、損得から離れたところで結ばれています。親友でも、住む世界が陸と海とに離れていましたから、損得で未来を計算するような間柄ではなかったのです。

 子どもと親では、生きる時代が陸と海ほど違っています。最初の出会いのときは、親がくじら、子がねずみで、大きい者がちいさい人を助ける一方です。その子が大人になったとき、のしかかるのは義務と責任であって、この絵本のような、奇跡的にうれしいご恩返し実現のハッピーエンドなんて、まずやってこないでしょう。
 でも、親子が共に過ごせる短い時間に、互いに尊敬の気持ちを育て合い、見返りを期待せず、別れのときには「離れていても親友」と確信できる間柄になることはできるかもしれません。そんな希望を抱かせてくれるから、私はこの絵本が好きです。

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