鈴木出版株式会社

子育てエッセイ 連載21

松井るり子 岐阜市生まれ。児童文化専攻。文筆業。暮らしや子ども、子育て、絵本についての著書多数。
たおやかで独創的な目線から書かれた文章は、子育て中のお母さんをほがらかに励ましてくれます。 この連載は、冊子「こどものまど2012年度」(鈴木出版刊)に掲載されたものです。 松井るり子の子育てエッセイ

連載21 花を飾る

切り花を長く保たせるための、ちょこまかした仕事が好きです。はさみを沈めて水切りする。毎日丈を詰める。茎を指でこすって洗う。花瓶の中を洗う。簡単なことで、うなだれていた花がシャンとしてくれると、まるで自分が育てたかのようにうれしいです。私のお肌のケアに比べて、効果の著しいところが特に良いです。 時間をかけて、何か食べ物を仕込んでいるときの気持ちも好きです。漬け物を漬ける、パンの発酵、ヨーグルトを増やす、お芋を干す、きのこを干す、梅シロップをつくる、塩麹をつくる…。こういった仕込み仕事が二つ以上進行していると、お腹のあたりがあったかいような、満たされた、いい気持ちです。二番目、三番目の子の妊娠中と似ています。 最初の妊娠は不安の方が大きくて、そんな余裕はありませんでした。初産がすめば「ふーん、こうか。よし」とわかります。前ほどお産が怖くありません。そして妊婦でいるという状態が、金文字で書きたいような「完璧な充実感」に満たされているので、これを手放すのがもったいなくて仕方ありません。胎児のおかげで得た「空虚から遠い自分」と離れたくないのです。生まれてしまえば、その子もかわいくてたまらなくなるのですけれど。 絵本『しあわせのちいさなたまご』(ルース・クラウス/文 クロケット・ジョンソン/絵 かくわかこ/訳 あすなろ書房)で、当時の気持ちを思い出しました。 花の脇に、小さな青いたまごがあります。親鳥の姿はありません。そこに鳥がやって来て、たまごを温め始めます。たまごが「あっちむいて あたためられて、こっちむいて あたためられて」する間に、傍らの花がどんどん、どんどん大きくなります。たまごは「くるひも くるひも あたためられて あたためられて あたためられて」、ある日とうとう、小さな青いひなが孵りました。 孵った小鳥は、歩くことも、歌うことも、飛ぶこともできました。飛んで、絵本の外に去ってゆきました。絵本の最後は、「この子はいつの日か、自分でしあわせなたまごを温めるだろう」と結ばれます。 産卵した小鳥は、すぐに抱卵を始めるそうですが、たまには自分の餌を捕りに行かねばなりません。そのまま帰れなかった母鳥もいたことでしょう。絵本に出てくる鳥は、母鳥というより、単なる行きずりのように見えます。行き過ぎてしまえなくて、その場にとどまり、イギリスのナース、日本の乳母のような「育ての母」の役目を、買って出たように思います。自分が何日も温めたたまごにひびが入ったときも、孵ったときも、雛が歩いたときも、飛んだときも、この育ての鳥はずっと花の脇で雛を見ていました。でも雛は、育ての鳥に目もくれずに、行ってしまいます。そう。思春期以降の子どもは、去ります。親に関心などありません。でも、幼児期はこうです。

「ママ」     田中大輔(3歳)
 あのねママ
 ボクどうして生まれてきたのかしってる?
 ボクね ママにあいたくて
 うまれてきたんだよ

『子どもの詩』収録(川崎洋/編 花神社)

 親子の間には、いろんな局面があります。三人の子どもたちが巣立った今の私には、このぼうやが差し出してくれるような、完璧な贈り物を受け止める体力が、多分ありません。思春期の危なっかしい子を見ている体力は、さらにありません。飛び去った後ろ姿が、砂粒の大きさになるまで見送ったら、私のよけいな後追いで我が子をわずらわせないように気を配ります。そのとき自分のそばに、花や台所仕事があることを喜ぶのです。

 幼い子どもの傍らに在る親の仕事は、自分が離れたら冷え切ってしまうたまごを温め続けるのにも似ています。それはときに、孤独な仕事です。同世代の仲間から、見捨てられたように感ずることもあるかも知れません。本来そこにいるべき生みの母…は自分だから仕方ないけれど、生みの父はどうしたんだ! と怒りたくなることもあるでしょう。それでも命を守り続けることを選んでしまいました。できるかぎり怒りを手放し、花を飾って、心楽しく過ごせたらいいですね。

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