鈴木出版株式会社

子育てエッセイ 連載22

松井るり子 岐阜市生まれ。児童文化専攻。文筆業。暮らしや子ども、子育て、絵本についての著書多数。
たおやかで独創的な目線から書かれた文章は、子育て中のお母さんをほがらかに励ましてくれます。 この連載は、冊子「こどものまど2012年度」(鈴木出版刊)に掲載されたものです。 松井るり子の子育てエッセイ

連載22 「フェアリーさんと乳歯」

 幼い我が子の引き出しに、与えた覚えのない10円玉のひとかたまりを見つけたとき、自分の立っている足元が、ズーンと地下に沈んでいくような気がしました。こういうのを「どろぼう」というのではなかったでしょうか。
 ぐわああ。私は子育てを、いつから、どこから、どのように、間違えたのでしょう。取り返しはつくのでしょうか。この子の将来は、大丈夫でしょうか。半泣きで、母に電話しました。
 それはね、どんぐり拾いと同じだから、だいじょうぶ。集めてきたのが、たまたまお金だっただけ。その10円玉、ぴかぴかでしょう?」
 母にそう聞かれましたが、わかりません。だって、引き出しを開けたらパッとお金が見えて、「まさか。やだ」と動転してしまい、見たくないからサッと閉めて、それからずっとくよくよしていたんですから。恐る恐る、見てきました。確かに、ぴかぴかです。
 「キラキラが欲しかっただけだから、叱らないで。
 『お金取るな』って、まだ教えてないでしょう?」
 そういえば教えていません。教える必要がなかったのですから。
 「『盗った』とか『どろぼう』とか言うと、変に 残るから、さらっとね。お金は取るもんじゃな いと教えて、他のキラキラする物をやりなさい」
 母のアドバイスをもとに、問いつめ口調にならないよう注意深く、
 「これ、どこから『持って』きた?」と尋ねると、息子は悪びれる様子もなく「ここだよ」と私の財布を示したので、彼は家の中にある物を移動させただけと知りました。こういうことはやめようねと教えて、代わりにガラスのおはじきを与えました。お金は、難しいです。

しばらく経って、絵本『はがぬけたときこうさぎは』(ルーシー・ベイト/文 ディアン・ド・グロート/絵 リブリオ出版)で「抜けた乳歯を封筒に入れて、枕の下に入れて寝ると、夜のうちにフェアリーさんが来て、お金と取り替えてくれる」という話を知りました。これは楽しそうです。ぴかぴかの10円玉で、まねしました。ところが何度かフェアリーさんをお呼びした後でハッとしました。乳歯20本×子ども3人分=60回、私はこれをやるのでしょうか。「最初の3本だけ」とかなんとか、制限を付けておくんでした!子どものお友だちは、どんなふうにしているのか聞いてみました。「うちには歯ブラシが来たんだよ」。「うちは歯磨きガムだったよ」。日本でのその風習は、まだ始まったばかりのようでした。最初は熱心にやっていた子どもたちも、そのうち飽きたのか、結局は数回ですみ、ほっとしました。

 『うっかりまじょとちちんぷい』(ヌリット・カーリン/作 冨山房)では、集めてきた乳歯が空に撒かれて、お星さまになりましたという話が語られます。「なんかくれます」よりも楽しい考えって、あるんですね。子どもに絵本を読むこちらの気持ちも、空の遠くに運ばれます。アメリカで見つけたこの本に、好きな訳をつけて遊んでいたら、その後、日本でも出版され、うれしかったです。原書では「アブラカダブラ」という名前で出てくる魔女。日本語版では「ちちんぷい」という名で登場します。子どもが転んだとき、打ったところを撫でながら「ちちんぷいぷい、いたいのいたいのとんでゆけ」と言いますね。アブラカダブラにも「病気、いなくなれ」の意味があるそうです。
 乳歯が抜けるときというのは、ちょっと痛かったり、ちょっと血が出たりします。親にとっては、赤んぼだったわが子の幼児期の終わりが、じんわり心に痛かったりします。親の私たちも、ちちんぷいに助けてもらっているかも知れません。

 19世紀フランスの画家、モーリス・ドニは、子どもたちの乳歯を小粒真珠や貴石と一緒に真鍮の細鎖でつなぎ、金メッキしたネックレスをつくりました。そしてそれを身につけた妻を描いています。展覧会では、ネックレスと絵が隣り合わせに並んでいました。家族へのいとおしさを、こんな形で残したかったおとうさんの、願いとつつましさの両方に、慰められました。絵とネックレスから、いい子だね、大丈夫、それいいね、こっちにおいでといった優しい会話が、聞こえてくるような気がしました。こんな形で子どもたちの幼児期を葬り、妻の身を飾り、妻を描いた画家も亡くなって、今これを見ている私も、わが子の子ども時代を過去完了形で振り返るばかり。やがてそれも過去形になる不思議を思いました。
 おかげさまで、うちの子どもは、無断10円玉収集を全く覚えていないそうで、その後この手の問題は起こりませんでした。でもね、受験料入学金授業料下宿代生活費部費自動車学校代研修費教材費…何度でも堂々と、成人してもがっぽりと、お金を持ち出してくれますよ。やれやれ。

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