連載28 「子どもは希望」
『氷の海とアザラシのランプ~カールーク号北極探検記』(ジャクリーン・ブリッグズ・マーティン/文 ベス・クロムス/絵 千葉茂樹/訳 BL出版)には、実際に行われた、生き延びるための冒険が描かれています。
旅の目的は、アラスカの沿岸を航海しながら、極地方の植物や人々の研究をすることでした。1913年、カナダの北極探検隊の船、カールーク号には、乗組員と科学者、探検家、そりを引く犬40頭と、猫1匹が乗っていました。そこに極北のネイティヴ、イヌピアク族の、猟師と裁縫師の夫婦を雇い入れて、合計31人となりました。保存食だけだと、栄養失調で死に至るため、猟師を雇って新鮮なアザラシ肉を調達します。極北では毛皮のズボンやブーツの不備が、死に直結するため、裁縫師を雇って皆が針仕事を習い、常時自分の衣類を自分でつくろいながら、船での本業を進めていきます。
ところがカールーク号は、厚い氷に閉じ込められた後、鋭い氷が船体に突き刺さって、沈没しました。急遽船から降ろした荷で、氷の上にキャンプを張ります。そして氷の上をなんとか歩き、17日間旅をして小さな島に着きました。船長は救助を求めるため、犬ぞりと徒歩で、シベリアに向かいます。
残された人たちは、島で救助を待つことになりましたが、食料調達が困難を極め、栄養失調による死者が出ます。イヌピアク族の猟師と裁縫師の夫妻には、8歳と2歳の娘がありました。
「水夫たちは、女の子たちの泣き声を一度も聞いたことがなかった」。
子どもはすぐビービー泣き、簡単に病気して、大人が仕事どころではなくなるので、我々の社会では、職場に子どもは連れて来ないことになっています。でもこの子たちは泣きません。この島での飢えと寒さと恐怖は、大の男を自殺に追い込むほど過酷だったにもかかわらず。
ある日、栄養失調で、母さんの具合が悪くなりました。父さんがアザラシを2頭捕まえて帰ってきます。新鮮な肉とスープで、母さんは健康を取り戻しました。一同は、岬に海鳥のたまごを見つけて、しばらく食いつなぎます。アザラシの尾やひれや皮で飢えをしのぐこともありましたが、大人たちは自分の食事を後回しにして、子どもたちにちゃんとしたものを食べさせます。
海に出るために、父さんはカヤック作りを始めました。2本の大きな丸太をナタで削って枠組みを作る。ナイフで形を整える。パドル(櫂)も削る。アザラシの皮をなめして、船の外に張る。カリブーの腱で皮を縫い合わせる。カヤックが仕上がった翌日、父さんはセイウチをしとめて戻りました。
時にはひと月前の残飯だけで飢えをしのぎました。毎日狩りに出かけ、ついに銃の弾丸が尽きました。すると父さんは、棒を投げる練習を始めます。棒で飛ぶ鳥を打ち落として持ち帰ります。父さんの甲斐性のあることには驚きます。棒投げの練習や、丸太削りから始めて、食料を実際に持ち帰るところまでやり遂げるとは。
母さんと娘たちは氷の下の魚を捕り、植物の根を集めます。皮はぎと、なめしから始めて、毛皮と革のズボン、パーカ、ブーツ、手袋によって、皆を凍傷と死から守る、母さんの裁縫の腕にも驚きます。
食料の蓄えもないまま、冬を迎えようとしていました。春まで生きられるか皆不安ですが、小さな妹ちゃんは、いつも言っていました「みんな、だいじょうぶだよ」。
カールーク号が沈んで8か月後、救助船がやってきて、イヌピアク族の4人を含む12人の生存者が救われました。普通に考えて生存の望みの薄い冬を前に、何も分からない子どもが「みんな、だいじょうぶだよ」と言い出したら、「あーあ、バカで羨ましい!」と腹が立ちそうです。でも皆で、自分が飢えてでも守ってきた子どもの、辛抱強さや行儀の良さや落ち着き、そして存在そのものが希望であることが、結果的に大人たちの命を守っただろうことも、容易に想像できます。
簡単に人間の息の根を止める過酷な自然の、美しい絵の表現に、目を見張ります。細かい光輪を描く星、尾を引いて流れる星、月、雲のちりばめられた夜空が、ことに好きです。極北の暗い冬を照らす、アザラシ油のランプも好きです。油の燃える匂いを嗅ぎながら、炎を見つめてお姉ちゃんは歌い、妹とアザラシ皮の人形は、その声にじっと耳を傾けるのでした。